おおまかに前半がコメディ色強くバカ丸出しで押し出す展開から一転して
後半は女子二人だけのシリアスな場面へ突入する。
素敵なサムシングを見つけると言って何処かへ行ってしまったユキを探しに行くみどりだったが、
旧友がコンビニ強盗をした現場に居合わせたみどりは
ひょんな事からブリーダーのヒロシ共々、強盗をはたらいた新太郎を半ば脅迫して、
ユキと迷犬を探す旅に3人で出かける。
車に乗った3人は本人達に与り知らないところで凶悪な殺人容疑者として全国指名手配されてしまう行までは、
コント色の強い馬鹿馬鹿しいコメディで個人的に好みのコミカルさだった。

しかし、後半は写真家になりたかったみどりとユキのシリアスな会話劇へと変貌してしまう。
この変貌は受け手である観客の好みの問題で評価は割れると思うが個人的には「素直な描写だな」という反面、
劇場という場所に夢や希望や不条理や絶望というものを押し込めた虚構を覗きに、
いわば現実逃避しにきているワタクシとしては
彼らのリアルな悩みはここでは聞きたくないな…という気持ちもある。

(みさ、CoRich舞台芸術「punctum」レビューより一部抜粋)

ディープでダークな感じかなーと思っていましたが、いわゆるジェットコースタードラマのごとく
スピーディーでポップでした。ラストの二人芝居はホロリとさせられます。

(バート、CoRich舞台芸術「punctum」レビューより一部抜粋)

若い人(もっと言うと浅野いにお等々が好きな人)には刺さると思う。
舞台セットがなく、役者の衣装も白と黒とのコントラスト。シンプルで、本当に無駄なものがない。
役者の演技をはじめとする表現の方法はとてもまっすぐで、
扱うテーマは誰しもが一度はぶつかるような、生きる上での悩み。
本当になんのごまかしもない。

これはなんだろう?何に近いんだろう?いろいろ考えたら、これは「漫画に近いんだ」と思った。
少年漫画というにはちょっとリアルで現実的すぎる。
ふだん青年誌で描いてる漫画家がたまに出す短編集。それを読むような感覚に近いのかなと思った。

(Electron、CoRich舞台芸術「punctum」レビューより一部抜粋)

ツバをすごい速度で飛ばしていくような熱いバカ展開だが、
演者が変に誤摩化しをせずにきちんとやりきっているのですんなりと笑える。
水越健なんてキレが大変よく、ちょくちょく挟む小ネタですら振り切って演じており観ているだけでにやにや。
暗転のない場転を的確に整理する演出のセンスもよく、全体的に観やすい舞台だった。
でも個人的に後半は微妙。
女子2人だけになって青年の想いが前面に出るシーンからが、感情移入できるか出来ないか分かれる所だと思う。
客層を見るとあれでもよかったのかもしれないが、斜に構える節がある自分としては残念。
テンションの高さで語りを極力無力化していく前半との落差で
「結局自分語りなのか」感を余計濃厚に受け取ってしまった。
伝えたいことなのはわかるが、前半ではそれをシリアスに寄り過ぎない演出で見せることができていたので、
やるならば最後までその方向でやり抜いてほしかったなと。

(ヨウ、CoRich舞台芸術「punctum」レビューより一部抜粋)

息もつかせぬ展開に、随所にちりばめられた笑い。
前半、かなり笑わせてもらいました。
舞台の見せ方もストーリーに合っていて違和感なく、むしろ臨場感があってとても良かったです。
静と動、必然と偶然、人の強さと脆さ。それと、情熱ゆえのせつなさ。
コントラストが鮮やかでした。
友情を軸にした、センチメンタル・コメディ?20代半ばの焦燥感とやりきれなさが懐かしかったです。

主人公は、家が焼けて目に見えるものすべてを失ってしまったけれど、
そんな時に会いたい人がいて。それを手伝ってくれる友達がいて。
「待っているよ」と言って待ってくれていた人に会えて。
やりたいことが見えていて。…けっこう幸せ者ですよね?笑

目に見えないものは持っていることに気付きにくいけど、
見えるものよりも大切なものの方が多い。ということを思い出しました。
ありがとう。

(白猫、CoRich舞台芸術「punctum」レビューより一部抜粋)

  
朝倉世界一の「デボネア・ドライブ」を読んで、ロードムービーを書こう、と思ったんです。

実家が燃えて何もかもなくなって、まるで自分の過去が消えてなくなったような感覚にとらわれる主人公、大木みどり。(金魚)
みどりは燃えていく自分の家を見ながら、
今、どこで何をしてるかもわからない高校時代の親友・ユキ(秋野かほり)のことを思い出す。

そのみどりがコンビニでバイトしてたら強盗が入ってきて、その強盗は高校の同級生、新太郎(水越健)で、
そんな時タイミングよくまた高校の同級生のヒロシ(相川雅史)から電話かかってきて、
「うちの犬が逃げたから一緒に探してくれ」って言われて。

ユキはレインボーロードってところにいるらしいから、そこまで行こう。
おれも強盗しちゃって逃げなきゃいけないし。犬もその間に見つかるかもしれないし。
レインボーロードっていうファンタジックな場所は、どうやら琵琶湖大橋のことらしい。
東京から滋賀に向かって車をぶっとばしていく。

警察は「強盗は3人組だ」とか勘違いしちゃうし、そんな中、警察に追われてるのを助けてくれたのは、
またも高校時代の同級生、太陽。(横田純)
太陽は25にもなって正社員の甲賀忍者として働いていて、年に一度の、全日本忍者選手権というのに出ないといけなくて、
それは滋賀県甲賀市・甲賀の里でやるから、一緒に乗せてってくれと。

なにかを求めて車で走っていく。
その道中で起こるいろんなこと。
日常から脱出して、つかのまの非日常へ。

とはいえ作中における重要な場所である「レインボーロード」も、キーになるイベント「全日本忍者選手権」も、実在します。
レインボーロード。
ほんとうは琵琶湖大橋につながる道路全部を指すので、じつはものすごく長いです。待ち合わせは無理!
それでこちらは、全日本忍者選手権公式ウェブサイト。(http://koka.ninpou.jp/contest/top.html
優勝すると、トロフィー、免許皆伝巻物、海外旅行にいけるらしいよ!
なんていうか世界って広いよね!

 

実家が燃えてなにもかもがなくなってしまう主人公、大木みどりには明確なモデルがいて。
ぼくが高校のときに知り合った、写真家なんですけれど。
ふわふわ飛んでいってしまいそうな風船のような、おとなしくて気分屋の猫のような。そんな女性です。
その人が本当に言ったことばや、言われたことや、思いが、セリフにそのまま反映されています。

 

 

ユキ「『しにたい』」
みどり、笑って。
みどり「『しね』」
みどり、シャッターを切る。
暗転。

みどりとユキが再会して。
思いをぶつけあったあとの。
ラストシーンのセリフ。

この直前にユキが、みどりに言うこれが。すべて。
「あたしは最近しにたい、しにたいばっかり言ってた」
「まあ、しにたいっていうのは『しあわせになりたい』の略なんだけどね」
痛いし、怖いし、だから本当に死にたいヒトなんていなくて。
死にたいと思っちゃうのもね、しあわせになりたいけど、
自分の想像してる「しあわせ」と、いまとのギャップが大きすぎて、
「自分はしあわせじゃない」「しあわせには、なれない」って、思い込んでるから、じゃないかなぁ。
案外いまこの状態って、「しあわせ」な状態かもしれないのに!

でもそんなの、なんか、まじめな顔して言えないじゃないですか。
「おれは本当は幸せになりたいが、なれないし、今キツいから死にたい」とか。
しみったれて飲みながら「しあわせになりてえんだよう」なんて言ってるおっさんを見たら、
なんかこのヒトも大変だったんだろうなぁとか思うけど、
このひと、ばかだな、っていう気持ちもどうしても混ざるっていうか。
「しあわせになりたいぜー!」
っていうのも、ちょっとふざけて言うくらいが、ちょうどいいというか。

ユキが最後にはにかみながら、「しにたい」というのは、
久しぶりに会った友達に対して、まじめなこと言っちゃう自分への照れなのかもしれないし。
それこそ、ちょっとした冗談なんだよ、っていう感じなのかもしれないし。
会ったばかりのヒトや、自分が心を許してないヒトとは、
「しにたい」「しね」というキャッチボールは成立しないから。
久しぶりに会ったけれど、仲良しのままでいられたふたりが、昔のまんまでふざけてる。

やっぱりものや人って変わるから。
それはもうどうしようもない。時間が経つってそういうことだもの。
でも、変わっていくものの中にまぎれて、たしかにいくつか存在してる、
「変わらないで、残ったもの」のよさが出せたらいいなって思ったのです。

「登場人物がほとんどみんな自分のことしか考えてないね」というコメントをいただいたのですが、
それはすごく的確かもしれない。
自分がいる意味ってなんだろう?
なんて本気で悩んじゃう人は、たいてい自分のことしか考えてないような。そんな気がしたから。

本当に、他人のために生きているんじゃないか、と思える人を、ぼくはあまり知らない。
今ぼくの交友関係を思い返してみても、思い当たる人物はひとりかふたりしかいない。
ほとんどみんな、自分のことメインで考えて生きてる。
そういうもんだと思うんだ。

自分のこと9割、他人のこと1割くらいの感じで、考えたり、ゆらゆら、やっていったりとか。
そういう感じで生きてる人たちが、たまに他人のことに必死になったりして、
その結果おもしろいことが起こったりしたら、いいなぁ、なんて思いながら。

「カーテンコールで役者さんが並んだ時、ああ、5人しかいなかったんだ、って思いました」
というアンケートをいただいたのですが、きっと15役すべて、たしかに生きていたのだと思います。
褒められた生き方かどうかは、さておき。

 

2010年12月15日
MacGuffins 脚本 横田純(Jun Yokota)